生きるということ

私の過去のありのままの体験を綴っていく。

家族とは

私は両親が30歳の時に産まれた。

末っ子の私は甘やかされて育てられたと思う。

特別に裕福な家庭ではなく平々凡々などこにでもある

一般家庭だ。

傍から見れば平々凡々な家族なのだか、それぞれ

内部の悩みや葛藤などは幾つもあると思う。

そんな家族に対しての私の悩み。そして心に残る傷。

父親に対しての不信感。この父親が私の父親であるという

周りに対しての羞恥心。

私は子供ながらに父親に対して色々な感情を抱いていた。

 

事の発端は、私が小2の時分ぐらいの時だ。

私は父親と同じ部屋で2人で毎晩寝ていた。

父親は寝る時間になると、いつも誰かと話しているのだ。

「遊園地行こうか」「海に行こうか」「愛してる」

その相手が母親では無い事ぐらい小2の私でも理解出来る。

そしてそれが間違っている事、駄目なことも理解出来る。

それでも私は我慢して、浮気相手と電話しているのを横目に

必死に眠りについた。何かの間違いだと考えないように。

 

しかし、毎日の事である。

毎日毎日浮気相手との電話を聞かされるのだ。

多分父親は私が聞こえてないとでも思っているのか。

はたまた聞こえててもそれを突き通しているのは本当に頭がおかしい。

 

ある時、私は父親に言った。

「もう、やめて。お母さんおるのになんで?」

父親がいつもの如く、浮気相手と電話している途中に

父親に対しての泣きながら訴えた。我慢の限界だった。

お母さんを裏切らないで。そんな気持ちだったと思う。

 

「わかった、ごめんな」

そう言い残し、電話を切り父親は眠りに着いたのだが

翌日もやめることは無かった。

そしてまた私もそれを聞きながら眠りについていた。

 

【次回、本格的に浮気相手と対面!浮気相手は同級生の母親!?】

続く。

私は何者なのか

何故ブログを始めようと思ったのか分からないが

私の生まれてきてから今までの体験を残しておきたい。

ただ、そう思ったからである。

 

中国地方の山の近くの片田舎に生まれ5人家族で

何不自由なく育ってきた。

3人兄妹で末っ子。とても甘えんぼだった記憶がある。

長女とは8つ年が離れておりとても大人に感じていた。

4つ上の兄は私にとって1番近くの憧れの存在だった。

いつも背中を追いかけ真似をし、かっこつけた。

 

幼少期からスポーツに励み、ソフトボール、水泳、武術、バレーボール等

学校の時間も終わってからもスポーツ漬けの毎日で、

夏休みに入ると午前は武術を習い、昼からは水泳に行き

夕方になるとソフトボールに励んでいた。

 

私の父親は地域のソフトボールチームの監督やコーチをしていた。

そのせいか私も自然とソフトボールに打ち込んできた。

家では無口な父親。グラウンドでは指導者。

不思議な感覚を持ちながらもピッチャーとして、4番バッターとして

小2から毎日励んでいたのだが、小5の時に手を複雑骨折し

ピッチャーとしての使命がここで終わった。

 

それでも骨折が治ると水泳や武術に励んだ。

とにかく体を動かす事が好きな子供時代であった。

 

次からは私の過去の体験を書こうと思ったきっかけである

「父親の浮気」についてありのままに書いていく。

ここから私の何かが狂い始めた。

 

続く。